SACD ハイブリッド

セカイのオザワを刻んだ

パリ管との鮮烈な名演 2枚を世界初リマスター。 

 
チャイコフスキー:交響曲第 4 番

ストラヴィンスキー:

バレエ音楽《火の鳥》全曲(1910年原典版)

小澤征爾 (指揮)

パリ管弦楽団

価格:6,600円(税込) 2枚組
ESSW-90281/82[SACD Hybrid]
DSD MASTERING
Super Audio CD層:2チャンネル・ステレオ[マルチなし]
美麗豪華・紙製デジパック・パッケージ使用

大好評販売中!



■小澤征爾が「エソテリック名盤復刻シリーズ」に初登場

小澤征爾( 1935.9.1 生まれ)は、

日本人の指揮者としてトロント響、シカ ゴ響、サンフランシスコ響、ボストン響、

ウィーン国立歌劇場など複数の 北米のオーケストラや歌劇場で

ポストを持った草分け的存在。

 

ヨーロッパ でもウィーン・フィルと ベルリン・フィル双方から名誉団員の称号を贈られ、

国内でもセイジ・オザワ 松本フェスティバル総監督、新日本フィル桂冠 名誉指揮者をつとめ、

日本で最も知名度のあるクラシック音楽家の一人です。

これまでに残してきた録音も数多く、レーベルもコロンビア、 RCA 、 EMI 、

フィリップス、ドイツ・グラモフォン、エラートなど世界的なメジャーの

ほぼすべてにその足跡を残してきた空前の存在といえましょう。

 

今回当シリーズで小澤の録音を初めて復刻するにあたってフォーカスしたのは、

小澤が真の意味で世界的な存在になった 1970 年代初頭に EMI に録音した

パリ管弦楽団との 2 枚のアルバムです。

この時期の小澤は、 4年間務めたトロント響を離れ、

サンフランシスコ響( 1970 年 12 月)とボストン響 1973 年 9 月)という

アメリカのメジャー・オーケストラの音楽監督就任が続き、

客演指揮中心だった 1960 年代とは活動の方向性の大きな転換期に当たっていました 。

 




セカイのオザワを刻んだパリ管との名演    

 

1959 年にブザンソンの国際指揮者コンクールで優勝した小澤にとって、

フランスは指揮活動の初期から拠点の一つとしてファンを獲得してきた国でした。

コンクールの翌年にはフラ ンス国立放送フィルでパリ・デビューを飾り、

1960 年代半ばからは定期的に訪れ、パリ管、フランス国立管を指揮し、

またパリ・オペラ座で数々のプロダクションに取り組み、オペラの実地経験を積んでいます。

 

師ミュンシュが創設にかかわったパリ管とは、

1969 年 8 月、ザル ツブルク音楽祭で初めて共演し、

ミュンシュの追悼演奏となったベルリオーズの大作「レクイエム」で大きな成功をおさめ、

その後 1982 年まで密接な関係を築き上げることになります。

ミュンシュの没後パリ管を継いだのはカラヤンで、

彼もまた小澤を高く評価する師の一人であったため、

頻繁に招かれることにつながったものと思われます。

 

小澤がパリ管の定期に登場したのは 1969年 12月のことで、

ワイセンベルクとのバルトークの第 2番、

ストラヴィン スキー「春の祭典」を指揮。

パリ管との初録音は翌年 5月で、

半年前に共演したワイセンベルクとラヴェルおよび

プ ロコフィエフの第 3番を EMI に録音しています。

そして 1970年 10月、パリ管定期 2度目の登場の折りに録音されたのが

DISC1のチャイコフスキーの交響曲第 4番だったのです 。




絶叫とは無縁のきわめて音楽的なチャイコフスキー

この時はコンサート が 10月 20日ナンテール、 21日シャンゼリゼ劇場、

22日サン=ドゥニ、そして 24日シャンゼ リゼ劇場という 4回で、

セッションはその合間を縫う形で 22日と 23日に設けられました。

22日はパリ郊外サン=ド ゥニ大聖堂での公演と被るという忙しいスケジュールで、

演目は前半が鶴田錦糸・横山勝也という初演メンバーを引き連れての

武満徹のノヴェンバー・ステップスのフランス初演という野心的なものでした。

 

小澤は早くからチャイコフスキーを得意としていて、

録音でも 1965 年にはエリック・フリードマンとヴァイオリン協奏曲を、

 1966 年にはジョ ン・ブラウニングとピアノ協奏曲第 1番を取り上げ、

1968 年にはシカゴ響と交響曲第 5番を録音しています。

パリ 管との交響曲第 4 番は、

オーケストラの本来の持ち味である華やかで洗練されたサウンドを十全に生かしたもので、

それでいて表面的にならず、実に音楽的に得心のいく解釈が全曲に浸透しています。

一例をあげれば、第 1楽章のファ ンファーレのあとに出る第1主題に込められた

過度にならないひそやかな憂愁、 第2楽章冒頭のオーボエの心にしみるフレージング、

落ち着いた第 3楽章の運びなど、上滑りにならない腰の据わった棒さばきが見事です。

一方で熱量も十分 にあり、第1楽章や第4楽章の終結での鮮やかなエンディングは、

演奏会でター トルネックに白い独特のジャケットを着こんで魅せた

当時の若き小澤らしい気概が込められています 。

 



ディスコグラフィ的にも珍しかった「火の鳥」全曲版    

 

小澤のパリ管定期 3 度目は 1971年 10月のことで、

この時の演目に含まれていたのがストラヴィンスキー「火の鳥」。

4 度目の登場は同じシーズン内の 1972年 4月で、

この時に EMI による録音セッションが

前回のチャイコフス キー同様に演奏会の合間を縫って設けられ、

「火の鳥」が収録 されました。パリ管のような国際的なオーケストラの 定期で、

常任的な立場の指揮者以外で、同じシーズン内に 2 度も指揮を任されるのはよほど相性の良い証拠。

 

この演奏にも指揮者・オーケストラ双方の意気込みが十全な形で刻み込まれています。

半年前に演奏しているとは いえ、練習も入れてセッションに

4日間かけてじっくりと仕上げられただけに、細部の彫琢も完璧で、

ストラヴィンス キーの自作自演(コロンビア)、

アンセルメの最後の録音(デッカ)、

ブーレーズ フランス国立管くらいしか存在しなかった

「火の鳥」全曲盤ディスコグラフィに、鮮烈な存在感を放つ1枚が加わったのでした 。

 



ストラヴィンスキーこそ小澤の真骨頂    

 

ストラヴィンスキーの作品は小澤が欧米で活動するにあたって繰り返し取り上げ、

特に「春の祭典」ではその明晰でしかもメカニックに堕しない

音楽の流れを生かしたしなやかな演奏で一家言をなしていました。

レコード面でも 1968 年にシカゴ響と「春の祭典」の同団初録音を成し遂げ、

翌 1969 年にはボストン響と「ペトルーシュカ」と「火の鳥」( 1919年組曲)を録音、

1971 年にはミシェル・ベロフ、パリ管と3つのピアノ協奏曲的作品を録音するなど、

スト ラヴィ ンスキー作品の若き名手としての地歩を固めていったのでした。

 

ラヴィニア音楽祭でストラヴィンスキーから アドバイスを受けるなど

作曲者との直接的な接点もあったこの時代の小澤が極めた一つの頂点が

パリ管との「火の鳥」ともいえるでしょう。

作品全体を見通すことのできる大局的な視点を持ち、

一方でストラヴィンスキーが腕を凝らした巨大な 4管編成の

オーケストレーションの面白さを巧みに生かし、

バレエの筋書きが鮮やかに浮かびあるかのような

性格付けのはっきりした演奏に仕上げています。

細部を際立たせるのではなく全体のマスを捉える録音ということもあり、

ストラヴィンスキーが指定したオフステージの金管の効果もくっきりとつけられており、

ホールの空間に充満するダイナミズムが音として聴き手に迫ってきます。

 

ミュンシュの死後、カラヤン、ショルティ、バレンボイムと

ドイツ系を志向する指揮者が歴代の音楽監督を務めることで

インターナショナル化していったパリ管が、

フランス式の楽器を使ったホルンやバソン(ファゴット)などの独特の音色も含め、

ここでは本来の持ち味である軽みを帯びた色彩的なサウンドを聴かせてくれるのです。

なおストラヴィンスキー「火の鳥」のジャケットを手掛けたのはアメリカのイラストレーター、

リチャード(ディック)・エ レスカス(生没年不詳)。

1970 80 年代に EMI のクラシック・レコードのアートワークを手掛け、

バルトレッティ指揮 「マノン・レスコー」、クレンペラー指揮「フィガロの結婚」、

バレンボイム指揮「ドン・ジョヴァンニ」、プレヴィン指揮のチャイコフスキーの

三大バレエなどのポップで色彩感のあるイラストは強く印象に残るものでした。

従来のクラシック音楽の近づきがたいイメージを払拭するかのような新鮮さを持つデザインは、

小澤やプレヴィンなど新しい世代の演奏家のレコードに実にフィットするものでした 。

 



コンサートプレゼンスを思わせる豊かな空間性  

 

これら 2 枚の録音が行われたサル・ワグラムは

1865年に巨大な舞踏場として建設され、国際会議、演奏会場、

ファッション展示会、ダンスコンクールなどの催しに使われてきた建物で、

 1981年にはフランス文化省の公式歴史的建造物に指定されています。

モノラル LP時代の 1950年代からは、その広大な空間と響きの良さゆえに

主にフラ ンス EMI のオーケストラやオペラの録音会場として使われるようになり、

当シリーズでもこのホールで録音された名盤、カラス主演のビゼー「カルメン」を発売しております。

プロデューサーのデイヴィッド・モットレーとスヴィ・ラジ・ グラッブは

いずれも英 EMI のスタッフですが、エンジニアリングは

このホールの音響特性を知り尽くしたフランス EMI のポール・ヴァヴァスールが担当し、

コンサートプレゼンスを思わせる豊かな空間性を感じさせる

パースペク ティヴの中で鳴り響くパリ管の明るく鮮やかなサウンドが見事に捉えられています 。

 

今回の Super Audio CD ハイブ リッド化に当たっては、

これまで 同様、使用するマスターの選定から、

最終的な DSD マスタリングの行程に至るまで、妥協を排した 作業をおこないました。

特に DSD マスタリングにあたっては、 「 Esoteric Mastering 」を使用。

入念に調整された ESOTERIC の最高級機材 Master Sound Discrete DAC と

Master Sound Discrete Clock を投入。

また MEXCEL ケーブルを惜しげもなく使用することで、

オリジナル・マスターの持つ情報を伸びやかなサウンドでディスク化することができました。

 

 



『小澤のディスコグラフィの中にあって、これは極めて重要なレコードのひとつ』  

 

◎チャイコフスキー

「この曲は、演奏の仕方によってはかなりドロドロした情念の渦巻く、

聞き手にとってもつらい内容の作品になりか ねない。しかし小澤はそのような解釈を一切採らない。

オーケストラの明るい音色のせいもあるが、このチャイコフ スキーは非常にリリックで軽く、

絶叫型にはほど遠い。終楽章で主要テーマが回帰する部分も、

ここでは新たな決 意表明のようにきこえる。これ くらい健康的で若々しい第 4 番も珍しい。」

 (『クラシック・レコードブック Vol.2 交響曲編』、 1980 年)

 

◎ストラヴィンスキー

「小澤はこのバレエの内容を熟知し、舞台の動きを彷彿とさせるような見事な演出を行っている。

とくにフィナー レにかけての盛り上げ方には実に見事なものである。

またリズムの扱いが巧い。同時にパリ管弦楽団をよく統率して、

各プレイヤーの腕を存分に発揮させているのも彼の非凡な才能をよく表している。」

(『レコード芸術』 1973 年 7 月号、推薦盤 /1973 年レコード・アカデミー賞受賞)

 

 「小澤 のディスコグラフィの中にあって、これは極めて重要なレコードのひとつだ。

というのはそれまでの小澤のレ コードは、安全運転が優先するといった感じで、

コンサートでのあの生気が噴出してくるような演奏ぶりが聞かれない、という不満があったわけだ。

この『火の鳥』のレコードでは、まさに小澤のナマの演奏の魅力が十全に聞かれる。

細部まで極めて精緻で精妙だが、それでいて微視的にならず、流動感・躍動感があり、

生気と熱気が吹き 上げてくる演奏になっている。この曲の代表的名盤の一つだ。」

 (『クラシック・レコードブック Vol.2 管弦楽曲編 』、 1980 年)

 

 「 4 管編成から繰り出される壮大な響きを小さくまとめようとせずに、

パリ管の明るいサウンドを活かして、メルヘンの世界を浮かび上がらせるかと思えば、

要所ではスリリングに疾駆するなど楽曲の特性にふさわしい名演を展開。

ハーモニクス奏法でグリッサンドする弦楽器の魔術的な感触をはじめ、

ソロをとる管楽器の色合いなど雰囲気豊か に捉えることに成功した

録音の素晴らしさも忘れてはならないだろう。」

 (『クラシック不滅の名盤』 1000 、 2007 年)

 

 「小澤とロシアものの相性は良い。音と音を強音でぶつけてもむしろ予想以上の効果を生むし、

超絶的なフレー ズは名人気質の奏者たちのプライドに火をつけた。

覇気と才気の漲った若き小澤の気迫と好リードに乗せられ、

前代未聞の『火の鳥』が創り上げられてゆく。特殊音響の巧みさや血が騒ぐような熱狂の高揚感、

さらには繊細な リリシズムなど、近代フランス音楽に長じた

オーケストラの長所や利点を最大限に活用したのが勝因である。」

(最新版『クラシック不滅の名盤』 1000 、 2018 年)

 

  

■収録曲

DISC 1

ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー

Pyot r Ilyich Tchaikovs ky

 

 交響曲 第 4 番 ヘ短調 作品 36

Symphony No. 4 in F minor, Op. 36

 

 [1] 第 1 楽章 : アンダンテ・ソステヌートーモデラート・コン・アニマ

 Andante sosten uto Moderato con anima

 

[2] 第 2 楽章 : アンダンティーノ・イン・モード・ディ・カンツォーナ

And antino in modo di canzona

 

[3] 第 3 楽章 : スケルツォ ピツィカート・オスティナートーアレグロ

Scherzo. Piz zicato ostin ato Allegro

 

 [4] 第 4 楽章 : フィナーレ アレグロ・コン・フォーコ

Finale. Allegro con fuoco

 

 

DISC 2

 

イーゴリ・ストラヴィンスキー

 Igor Stravinsky

 

バレエ音楽《火の鳥》全曲( 1910 年原典版)

 The Firebird (complete original version, 1910)

 

[1] イントロダクション

 Introduction

 

第 1 場 First Tableau

 

[2] カスチェイの魔法にかかった庭

Kashchei's E nchanted Garden

 

[3] 火の鳥の出現―イワン王子の登場

Appearance of the Firebird pursued by Ivan Tsarevich

 

[4] 火の鳥の踊り

Dance of the Firebird

 

[5] 王子に捕らえられた火の鳥

 Ivan Tsarevich captures the Firebird

 

[6] 火の鳥の哀願

Supplication of the Firebird

 

 [7] 魔法にかけられた 13 人の王女たち

 Appearance of thirteen enchanted p rincesses

 

 [8] 黄金の果実とたわむれる王女たち

The princesses' game w ith the golden apples (Scherzo)

 

 [9] イワン王子の不意の登場

Sudden appearance of Ivan Tsarevich

 

[10] 王女たちのロンド(ホロヴォード)

 The princesses' Khorovod (Round Dance)

 

 [11] 夜明け

Daybreak

 

[12] イワン王子、カスチェイ城に突入

 Ivan Tsarevich enters Kashchei's Pala ce

 

 [13] 城番の怪物どもに捕らえられるイワン王子

Magic carillon, Appearance of Kashchei's Guardian Monsters, Capture of Ivan Tsarevich

 

 [14] 不死の魔王カスチェイの登場

 Arrival of Kashchei the Immortal

 

[15] イワン王子とカスチェイの対決

Kashchei's dialogue with Ivan Tsarevich

 

[16] 王女たちの哀願

Intercession of the princesses

 

 [17] 火 の鳥の出現

 Appearance of the Firebird

 

[18] 火の鳥に魅せられたカスチェイの手下どもの踊り

Dance of Kashchei's retinue under the Firebird's spell

 

[19] カスチェイらの凶悪な踊り

Infernal dance of all of Kashchei's subjects

 

[20] 火の鳥の子守歌

Lullaby The Firebird)

 

 [21] カスチェイの目覚め

 Kashchei's awakening

 

[22] カスチェイの死

 Kashchei's death

 

[23] 深い闇

Complete darkness

 

 

第 2 場 Second Tableau

 

 [24] カスチェイの魔法が消え、石にされていた騎士たちがよみがえる

Disappearance of the palace and the Dissolution of Kashchei's Enchantments,

Animation of the Petrified Warriors, General Thanksgiving

 

パリ管弦楽団

Orchestre de Paris

 

指揮 : 小澤征爾

Conducted by Seiji Ozawa

 

 Producers: David Mottley (Tchaikovsky); Suvi Raj Grubb (Stravinsky)

Balance Engineer: Paul Vavasseur

Recorded: 22 & 23 October 1970, Salle Wagram, Paris (Tchaikovsky)

22, 24, 28 & 29 April 1972, Salle Wagram, Paris (Stravinsky)

 

[ 録音] 1970 年 10 月 22 日& 23 日(チャイコフスキー)、

1972 年 4 月 22 日、 24 日、 28 日& 29 日(ストラヴィン スキー)、パリ、サル・ワグラム

 

[初出] 1 C 063 02159 C 1971 年 チャイコフスキー) ASD 2845 1973 年 ストラヴィンスキー)

 [日本盤初出] AA 8810 1971 年 8 月 チャイコフスキー) EAA 80149 1973 年 7 月 ストラヴィンスキー)

 

 [オリジナル・レコーディング]

 [プロデューサー]デイヴィッド・モットレー(チャイコフスキー)、スヴィ・ラジ・グ ラッブ(ストラヴィンスキー)

 [バランス・エンジニア]ポール・ヴァヴァスール

 

 [ Super Audio CD プロデューサー] 大間知基彰( エソテリック株式会社

[ Super Audio CD リマスタリング・エンジニア] 東野真哉(エソテリック株式会社)

[ テクニカルマネージャー 加藤徹也(エソテリック株式会社)

[ Super Audio CD リマスター] 202 3 年 6 月 エソテリック・ マスタリング・センター、

 「 Esoteric Mastering 」システム

 

[解説] 浅里公三 西村祐

 [企画・販売] エソテリック株式会社

 [企画・協力] 東京電化株式会社