厳しい造形感覚に支えられた高潔な音楽美。
20世紀が輩出した数々のヴァイオリニストの中でも、最も高潔な音楽美を追求した巨匠として知られるのが、ポーランド生まれでメキシコに帰化したヘンリク・シェリングといえるでしょう。
レオポルド・アウアー門下のモーリス・フレンケル、ブロンイスラフ・フーベルマン、そしてカール・フレッシュら名だたる名ヴァイオリニストに師事し、ヨーロッパのヴァイオリン演奏の王道を身につけた正統派ですが、第2次大戦中にはナチスの侵攻を避けてメキシコに渡り、人道主義的な活動に身を投じるなど、通常の音楽家とは異なるユニークな経歴の持ち主です。
第2次大戦後にメキシコを訪れたルービンシュタインによって「再発見」され、その紹介によって再びその名を知られるようになり、以後世界的な演奏活動を行うようになりました。
ヴァイオリンという楽器の持つ艶やかさや華麗な技巧を表面に出さず、主観を排し厳しい造形感覚と確かな様式感を持って音楽の本質に肉薄するシェリングの演奏は、20世紀後半のヴァイオリン演奏の本流の一つとして高く評価されています。
■最高の状態でのSuper Audio
CDハイブリッド化が実現。
シェリングは1950年代からフランス・コロンビアに録音を開始し、その後、1960年代前半はRCA、1960年代中盤はマーキュリー、そして1960年代後半以降はフィリップスとメジャー・レーベルをオーバーラップしつつ幾多の録音を残しています。
中でも、フィリップス・レーベルには1960年代後半から1970年代にかけてバッハからポンセまで、協奏曲・室内楽曲・独奏曲をカバーする幅広いレパートリーにおいて、その最円熟期の芸術を刻み込んでいて、アルトゥール・グリュミオーと並んで同レーベルの代表的な
ヴァイオリニストと位置付けられていました。
今回世界で初めて(2014年8月現在)、Super Audio
CDハイブリッド化されるのは、
1973年に録音されたベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲に、その2年前に録音された
「ロマンス」2曲を加えたものです。
■ シェリングが辿りついた究極のベートーヴェン解釈。
ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータやブラームスのヴァイオリン協奏曲と並んで、シェリングのトレードマークとでもいうべき重要なレパートリーで、生涯に3度の正規録音を残している点でも同じです。
シェリングは、まずモノラル時代に1952年頃にティボー指揮パリ音楽院管と最初の録音をフランス・コロンビアに行ない、さらに1965年にはマーキュリーにS=イッセルシュテット指揮ロンドン響と2度目の録音を行なっています。
そして当アルバムの1973年フィップス録音は、シェリングにとって3回目の録音となったもので、共演はベルナルト・ハイティンク指揮するロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団です。
3種類の録音は作品への基本的なアプローチは共通していますが、年代を追うごとに
円熟味を増し、厳格さと洗練の度合いのバランスが自然になっています。
2度目のマーキュリー録音もこの作品の本質をストイックなまでにストレートに表出した名演として高く評価されていますが、この3度目のフィリップス録音はその2度目の録音の特質を保ちつつ、音楽の深みと柔軟さを獲得している点が聴きものです。
いわば2度目にしてシェリングが辿りついた究極のベートーヴェン解釈といえるでしょう。
カデンツァはヨアヒム作のものをそのまま使用しています。
■コンセルトヘボウの深々とした空気感を味わえる優秀録音。
共演のハイティンクとコンセルトヘボウも当時フィリップス・レーベルの根幹アーティストでした。この録音と同時期にブラームスやメンデルスゾーン、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の録音でもシェリングと共演しています。
どっしりとした低音パートに支えられた厚みのある弦楽パート、パートごとに個性的な色どりを放つ木管パート、そして随所にアクセントを添える存在感のあるティンパニなど、
名門コンセルトヘボウ管らしい暖かみのある音色がシェリングのヴァイオリンを包み込んでいます。世界屈指の名ホールとして知られるアムステルダム・コンセルトヘボウの大ホールに美しく響きわたるシェリングのソロとコンセルトヘボウのサウンドを余すところなく捉えた優秀録音でもあります。
プロデュースを担当したのは、当時フィリップスのメイン・プロデューサー〜エンジニア
だったフォルカー・シュトラウス(1936〜2002)。
アナログ時代の全盛期からデジタル時代まで、マルチ・マイクのテクニックを駆使しながら、音楽的な充実感のあるサウンドを創り続けた名プロデューサー/エンジニアで、シェリングやハイティンク、アラウ、コリン・デイヴィスなど、当時のフィリップス・レーベルの
メイン・アーティストの録音を多数手がけています。
コンセルトヘボウの空気感を伴うマスの響きの美しさやスケール感と、ヴァイオリン独奏や木管のソロなどのディテール感を両立させており、LP時代初期の1950年代からこのホールで録音を行い、響きの特質やマイクロフォンのベスト・ポジションを知り尽くしたフィリップスならではノウハウが投入された名録音です。
今回のSuper Audio
CDハイブリッド化に当たっては、これまでのエソテリック企画同様、使用するマスターの選定から、最終的なDSDマスタリングの行程に至るまで、妥協を排した作業が行われています。
特にDSDマスタリングにあたっては、DAコンバーターとルビジウムクロックジェネレーターに、入念に調整されたエソテリック・ブランドの最高級機材を投入、また同社のMEXCELケーブルを惜しげもなく使用することで、貴重な音楽情報を余すところなくディスク化することができました。
■ 極めて正統的。
「シェリングがこの曲を3回録音しており、これはその3度目のものにあたる。
65年にS=イッセルシュテット指揮ロンドン響と共演した盤は、オーケストラともども極端に楷書風の厳格なアプローチのため、あまり好きになれなかったが(それゆえに高く評価する意見もあった)、こちらはハイティンクの作り出す重音過多の厚ぼったい響きの中で、ヴァイオリンが艶消しの音色でスイスイ泳いでいくといった感じで極めて正統的。カデンツァも依然の録音とは違い、ヨアヒムのものをそのまま使っている。」
(渡辺和彦、『レコード芸術別冊・クラシック・レコード・ブックVOL.3協奏曲編』、1985年)
■収録曲
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61
1.
第1楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ
2. 第2楽章 ラルゲット
3. 第3楽章 ロンド(アレグロ)
4. ロマンス 第1番 ト長調 作品40
5. ロマンス 第2番 ヘ長調 作品50
[演奏]
ヘンリック・シェリング(ヴァイオリン)
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
指揮:
ベルナルト・ハイティンク
[録音]
1973年4月26日&27日[協奏曲]、
1970年9月14日&15日[ロマンス]、
アムステルダム、コンセルトヘボウ大ホール
[初出]
6500 531[協奏曲]、6833 100[ロマンス]
[日本盤初出]
SFX-8639
(1974年12月)[協奏曲]、
SFX-8687[ロマンス]
[オリジナル/プロデューサー&バランス・エンジニア]
フォルカー・シュトラウス(協奏曲)、
ヤープ・ヴァン・ギンネケン(ロマンス)
[Super Audio CDプロデューサー]
大間知基彰(エソテリック株式会社)
[Super
Audio CDリマスタリング・エンジニア]
杉本一家(ビクタークリエイティブメディア株式会社、マスタリングセンター)
[Super
Audio
CDオーサリング]
藤田厚夫(有限会社エフ)
[解説] 諸石幸生 ロビン・ゴールディング
[企画/販売] エソテリック株式会社
[企画/協力] 東京電化株式会社