ポリーニ芸術の1970年代のクライマックスを刻印
イタリアの名ピアニスト、マウリツィオ・ポリーニ(1942.1.5生まれ)が
一躍その名を世界にとどろかせたのは、
1960年のショパン国際コンクールで優勝を飾った18歳の時のこと。
審査員全員一致の推挙であり、しかも審査員長だったルービンシュタインの
「私たち審査員の中で、彼ほど上手く弾けるものがいようか」という言葉は、
ポリーニという存在がいかにセンセーショナルであったかを物語っています。
ミラノのヴェルディ音楽院卒業のはるか前の9歳で
デビューを果たした若きピアニストは、
しかし、この直後に公の演奏活動から身を退き、
レパートリーの拡充を含めさらに
自らの芸術を深めるための研鑽を続けたのでした。
そしてそのドロップアウトの期間を経て1968年に演奏活動を本格的に再開し、
さらに1971年にはヨーロッパ各地への広範はリサイタル・ツアー、
それとドイツ・グラモフォンからのデビュー・アルバム「ストラヴィンスキー:
「ペトルーシュカ」からの3楽章&プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第7番「戦争ソナタ」」
[当シリーズでSuper
Audio CDハイブリッド化済み]によって、
再び世界を驚愕させることになりました。
その後「ショパン:練習曲集」(1972年)、
「シューマン:幻想曲&ピアノ・ソナタ第1番」と
「シューベルト:さすらい人幻想曲&ピアノ・ソナタ第16番」(ともに1973年)、
「シェーンベルク:ピアノ・ソロ作品集」「ショパン:24の前奏曲」(ともに1974年)と、
毎年のようにそれまでの演奏・録音史を根本から塗り変えるような鮮烈な
ソロ・アルバムを続々と発表し続けました。
その1970年代のポリーニの一つのクライマックスが結実したのが
1975年から1977年にかけて録音されたベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタ集で、
今回はその中から、ピアノ・ソナタ第28番と第29番「ハンマークラヴィーア」が
1枚にカップリングされています。
■
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ演奏・録音史の転換期に聳え立つ頂点
ヴィルヘルム・バックハウスやヴィルヘルム・ケンプのような、
19世紀生まれの名手によるドイツ的な演奏解釈こそが
まだまだベートーヴェン作品の本流、
とされていた1970年代当時の風潮からすると、
ポリーニによるベートーヴェン(しかも後期ソナタ)の解釈は、
全く独自の、鮮烈なものでした。
それまでベートーヴェンの演奏、特に後期の作品の演奏につきまとっていた
衒学的な思想性や深遠な精神性とはきっぱりと袂を分かち、まるでポリーニが
得意としていたシュトックハウゼンやノーノを演奏する時のように、
楽譜に書かれた音符や指示を純粋に音楽的に捉えることのできる感性によって
論理的に再構築された先鋭な演奏がそこにあったのです。
ポリーニがこの新しいベートーヴェン解釈を打ち立てたのは、
ポリーニとは少し違うものの、同じくらいに革新的だったアプローチで
ピアノ・ソナタの全曲録音を成し遂げつつあったアルフレート・ブレンデルの
ベートーヴェンが世界的に評価された時期と同じであり、
「演奏の世紀」と称された20世紀後半におけるベートーヴェン演奏史の
転換期にいきなり聳え立ったひとつの頂点でもありました。
■録音会場の差異を感じさせない統一のとれたDGサウンド 。
収録はポリーニがそれまでの録音で好んで使ってきたミュンヘンの
ヘルクレスザールとウィーンのムジークフェラインザールとの2か所に
分けて行われています。
演奏会だけでなく録音会場としても適している
ヘルクレスザールの使用は当然としても、
客が入らない録音セッションの場合、残響成分が多く、特にソロのセッション録音には
不向きとされるムジークフェラインザールが使われているのは珍しいことです。
そういう条件ではあっても、収録に当たったバランス・エンジニアは
ドイツ・グラモフォンの名手クラウス・ヒーマンであり、会場の差異を感じさせない
音作りがなされているのみならず、ドイツ・グラモフォンのホールトーンを生かした
ニュートラルなサウンドからはさらに一歩踏み込んで、
ポリーニの明晰極まりないタッチから生み出される一音一音の鮮烈さが
余すところなく捉えているという点でも、まさに名録音といえましょう。
■最高の状態でのSuper Audio CDハイブリッド化が実現 。
ポリーニはこの後期のソナタと並行して、同じベートーヴェンのピアノ協奏曲でも
全曲の録音をベームおよびヨッフム指揮のウィーン・フィルと完成させており、
自らのベートーヴェン解釈の方向性を固めています。
特記すべきは、この後期ソナタのあと、次にポリーニがソロ録音を行なうのは
1983年になってからのこと(シューマン「交響的練習曲&アラベスク」)。
ソロ録音の発表におけるこの6年間にもわたるブランクは、もしかしたらポリーニの
後期ソナタにかけた思い入れの深さを物語っているのかもしれません。
とにかくこの録音は歴史的な名盤だけにCD発売初期から
デジタル・リマスター化されており、その後ORIGINALSのシリーズで
OIBP化されてもいますが、
今回のSuper Audio
CDハイブリッド化に当たっては、これまでのエソテリック企画同様、
使用するマスターの選定から、最終的なDSDマスタリングの行程に至るまで、
妥協を排した作業が行われています。
特にDSDマスタリングにあたっては、DAコンバーターと
ルビジウムクロックジェネレーターに、入念に調整されたエソテリック・ブランドの
最高級機材を投入、また同社のMEXCELケーブルを惜しげもなく使用することで、
貴重な音楽情報を余すところなくディスク化することができました。
■「ベートーヴェンが最後に到達した巨大な作品を初めて鮮明に表現した画期的な演奏」 。
「新発売の3曲(第28,29,32番)は、いずれ劣らぬ出来上がりだが、
ポリーニの個性と魅力が最もよく浮き彫りにされているのは、
雄渾な性格を少しも失うことなく、それでいてあらゆる音、リズム、声部を、
まるで細密画のように丹念に緻密に弾き分けて見せた「ハンマークラヴィーア」であろう。
ポリーニはベートーヴェンの構成原理を「ハンマークラヴィーア」でいかにも壮大、
かつ魅力的に説き明かして見せてくれる。」
(「レコード芸術」1978年4月号、推薦盤)
「このベートーヴェンの後期のソナタの演奏は、音楽的にも、
またベートーヴェンの音楽言語の持つ一流のロジックに関しても、
作品を吟味するポリーニの醒めた眼、という点からも、
今日のベートーヴェン解釈のインターナショナルな様式のひとつと考えられる。」
(レコード芸術別冊『演奏家別レコードブックVOl.2』、1988年)
「ポリーニの演奏するベートーヴェンの後期ソナタは、
概してあまりにも繊細すぎると思う向きもあるだろう。
一口にいって非常に透明な音色で澄み切った演奏をしている。
このような演奏には確かに一つの美が存在する。
内的な深さに欠けると感ずる人もいるかもしれないが、
音楽自体は大変美しく再現されているのだ。」
(『クラック・レコード・ブックVOl.4 器楽曲編』、1985年)
「ポリーニの「ハンマークラヴィーア」はコンサートで2回聴いたが、
いずれもあらあらしいといえるくらい力のみなぎる演奏であった。
レコードでもそうした力感が背後に存在しているが、さすがに実演とは違って、
はるかに平衡感が強い。しかしそれだけに、音と表情の明るさ、無理のない響き、
あざやかな技巧など、ポリーニの特色が肩いからせずに示されている。
随所に柔軟な歌も聞こえるが、それでもこの作品の雄大な構図が堂々と
浮かび上がるのは、ポリーニの設計の確かさを示していてこれ以上望みようがない。」
(『クラシック・レコード・ブックVOl.4 器楽曲編』、1985年)
「ポリーニほどベートーヴェンの後期のソナタの精密に構築された
音の世界を緻密に表現したピアニストはいない。
一つ一つの音が充分に吟味されたポリーニの演奏は、強弱や微妙な音彩など
すべてが明快であり、ベートーヴェンが最後に到達した巨大な作品を初めて
鮮明に表現した画期的な演奏といっても過言ではない。」
(『ONTOMO MOOK クラシック不滅の名盤800』、1997年)
「ポリーニがその持ち味を最高に発揮したのが「ハンマークラヴィーア」。
ベートーヴェン独特の力感と量感、それに雄渾な表現。
これらにいささかもたじろがず、堂々と弾き切っている。
圧倒されるスケールの大きさである。」
(『ONTOMO MOOK クラシック不滅の名盤1000』、2007年)
「その強靭なタッチと明晰な表現によって、
ベートーヴェンの音楽を厳しく造形して、
一点の曇りもない。
しかも、超凡な技巧に溺れぬ揺るぎない演奏は、きわめて理知的で現代的で
あるとともに、細部まで精妙を極め、あくまで深く澄んだ詩情をしなやかな感覚で
くっきりと掬い取っている。」
(『クラシック名盤大全 室内楽曲編』、1998年)
■収録曲
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
ピアノ・ソナタ 第28番 イ長調 作品101
1. 第1楽章:
いくぶん生き生きと、心からの感動をもって(アレグロ・マ・ノン・トロッポ)
2. 第2楽章:
生き生きと、行進曲のように(ヴィヴァーチェ・アラ・マルチア)
3. 第3楽章:
ゆっくりと、憧れをもって(アダージョ・マ・ノン・トロッポ、コン・アフェット)
4. 第4楽章:
躍動して、しかし早過ぎないように、そして決然と(アレグロ)
ピアノ・ソナタ 第29番 変ロ長調 作品106
《ハンマークラヴィーア》
5. 第1楽章:アレグロ
6. 第2楽章:スケルツォ
(アッサイ・ヴィヴァーチェ プレスト プレスティッシモ テンポ・プリモ)
7. 第3楽章:アダージョ・ソステヌート
8. 第4楽章:ラルゴ―アレグロ・リゾルート
[演奏]
マウリツィオ・ポリーニ(ピアノ)
[録音]
1977年1月、ウィーン、ムジークフェライン大ホール(作品101)
1976年9月、ミュンヘン・ヘルクレスザール(作品106)
[初出] 2530870、2530869
[日本盤初出] MG1104, MG1105(1978年2月)
[オリジナル・レコーディング][プロデューサー]
ライナー・ブロック
[レコーディング・プロデューサー] ヴェルナー・マイヤー
[バランス・エンジニア] クラウス・ヒーマン
[レコーディング・エンジニア] ユルゲン・ブルクリン、
ヴォルフ=ディーター・カルヴァトキー、ゲルノート・ヴェストホイザー
[Super Audio CDプロデューサー] 大間知基彰(エソテリック株式会社)
[Super Audio
CDリマスタリング・エンジニア] 杉本一家
(ビクタークリエイティブメディア株式会社、マスタリングセンター)
[Super Audio
CDオーサリング] 藤田厚夫(有限会社エフ)
[解説] 諸石幸生 渡辺護(日本盤初出LP解説)
[企画/販売]
エソテリック株式会社
[企画/協力]
東京電化株式会社