SACD ハイブリッド

20 世紀後半のマーラー演奏の規範を生み出した、
アバドならではの精緻な名演 2曲。
 
 

マーラー:交響曲 第2番「復活」&第4番
 
クラウディオ・アバド(指揮)
シカゴ交響楽団(第2番)、
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(第4番)

(限定3500セット)


価格:6,915円(税込)
(2枚組)ESSG-90141/42[SACD Hybrid]
DSD MASTERING
Super Audio CD層:2チャンネル・ステレオ[マルチなし]
美麗豪華・紙製デジパック・パッケージ使用

SOLD OUT!




マーラー演奏・録音史上において計り知れない意義を持つアバドのマーラー演奏


   惜しくも2014 年1 月20 日、80 歳で亡くなった
イタリアの名指揮者クラウディオ・アバド(1922-2014)。

当シリーズではこれまでも、
メンデルスゾーン「真夏の夜の夢&イタリア」、
「ジルヴェスター・コンサート」、 ストラヴィンスキー「ペトルーシュカ&プルチネルラ」、
ロッシーニ「セビリャの理髪師」などのアナログ〜 デジタル時代の名盤を
Super Audio CD ハイブリッド化して参りましたが、
今回は1976 年と77 年に録音された
マーラーの交響曲第2 番「復活」と第4 番という、
これまたアバドのディスコグラフィー上、最も 重要な名演を
最高の状態でSuper Audio CD ハイブリッド・ソフト化いたします。

これらは、アバドが1976 年から1994 年まで
ほぼ20 年をかけて完成させた彼の
第1 次「マーラー: 交響曲全集」で最初に録音された2 曲であり、
マーラー演奏・録音史上においても
計り知れない意義 をもった演奏でもありました。


 
 


ユダヤの血のくびきから解放した第3 世代によるマーラー  
 
 マーラーの交響曲は、まずマーラー自身が指揮者として各地で演奏し、
さらに1911 年にマーラーが 死去してからは、
ブルーノ・ワルター、オスカー・フリート、オットー・クレンペラーなど、
主に作曲者と直 接かかわりのあった
19 世紀生まれの弟子筋にあたるユダヤ系の指揮者たちによって広められ、
20 世 紀前半の演奏伝統が形成されていきました。

第2 次大戦後その伝統を引き継いだ代表的な音楽家は
アメリカ人のレナード・バーンスタインであり、 「ユダヤの血の共感」ともいうべき
濃厚な演奏解釈こそがマーラーの本質を伝えるものだという
イメージ が作り上げられていく一方で、
さらにその次の世代の音楽家は、そうした民族的共感を超えて、
マー ラー作品の精緻なオーケストレーションに目を向け、
過度な感情移入を加えずに作品の姿を
あるがままに提示する演奏を行なうようになりました。

そうしたマーラー演奏の第3 世代の代表的な指揮者の一 人が
クラウディオ・アバドだったのです。





アバドの指揮者としての里程標となったマーラー     
 
 1956 年からウィーン国立音大に留学したアバドは、
第2 次大戦で瓦礫と化したウィーンの街が力強 く復興していく時代に
ブルーノ・ワルター晩年の指揮を身近に見ることができた世代でもあり
(ワルター の指揮でモーツァルト「レクイエム」の合唱にも参加しています)、
また1960 年のマーラー生誕100 年を 身近に体験することにもなりました。

そして1958 年、タングルウッドでの
指揮者コンクールでクーセヴィツキー賞を受賞し、
さらに1963 年 のミトロプーロス指揮者コンクールで
優勝したアバドが1965 年のザルツブルク音楽祭デビューで取り 上げたのが
マーラーの交響曲第2 番「復活」でした。
ウィーン・フィルを指揮したこの「復活」はセンセー ショナルな成功を収め、
直ちに翌年のウィーン・フィルの定期に招かれるなど
彼の国際的なキャリアを 開くきっかけとなった重要な演奏でした。

さらにマーラー指揮者としては、
イタリア国内のみならず、1967 年のウィーン芸術週間で開催された
マーラー交響曲全曲演奏にも招かれ、難曲・第6 番を担当するなど、
その名声を高めていきます。





満を持して開始されたマーラー録音
  
 
アバドは1960 年代後半から
ウィーン・フィルやロンドン交響楽団と英デッカに録音を開始し、
1970 年 代に入るとドイツ・グラモフォンにも
次々と録音を行なうようになりましたが、
アバドと同世代で同じマー ラー演奏の第3 世代でもある
メータやマゼールが早々とマーラーの録音を
手掛けたのとは対照的に、 アバドは時を待ち、
ようやく1976 年になってから、
当時ショルティのもとで客演指揮者待遇にあったシ カゴ交響楽団とともに
初めてマーラーの交響曲の録音を行ないました。
それが今回Super Audio CD ハイブリッド化される交響曲第2 番「復活」です。

1965 年のザルツブルク音楽祭での
圧倒的な成功から10 年を経て、
アバドの解釈はさらに精緻を極 め、
ショルティ時代の真っただ中にあって
恐るべきパワーとヴィルトゥオジティを備えた
機能的オーケス トラに変貌を遂げていたシカゴ響を起用することで、
マーラーの複雑なオーケストレーションが
圧倒的 な精度で再現されています。

当時のレコード評にもあるように、
特に緊張感に満ちた弱音領域のデリ ケートな表現力は
この時期のアバドならではといえるでしょう。

マーラーが書き込んだ極端な表現主義 的指示
(弦のポルタメント、テンポの急激な変化、特定の楽器のバランスを突出させるなど)を
文字通り 遵守するのではなく、
全体の響きの中で調和させたアバドの解釈は、
1980 年代になって本格的に花 開く世界的なマーラー・ブームの中で、
LPジャケットを飾ったカラフルな孔雀羽の写真、
ユーゲント シュティール風のフォントとともに、
マーラー交響曲解釈の一つのスタンダードとなったのでした。




DGによる初期シカゴ録音の精華・第2 番     

 シカゴ交響楽団はLP初期以降
マルティノン時代までRCAの専属でしたが、
1969 年のショルティの 音楽監督就任によってデッカに移籍し、
デッカによる明晰な録音が大きな話題を呼ぶようになります。
ドイツ・グラモフォンもアメリカ市場でのシェア拡大を目指し
、ボストン交響楽団やサンフランシスコ交響 楽団に続いて
1972 年からシカゴ交響楽団との録音を開始し、
バレンボイム指揮のブルックナーや シューマンと並行して収録されたのが
アバドによるマーラーでした
(第2 番「復活」のあと、第5 番と「亡 き子をしのぶ歌」、
第6 番、第1 番、第7 番の4 曲が収録されています)。

同時期に進行していたショルティ指揮の
デッカ録音によるマーラー全集がマルチマイクによって細 部を明晰に拾い、
豪壮な迫力を感じさせるあざといまでの
人工的な音作りであったのと比較すると、D G録音はサウンドステージの
パースペクティヴをより広く設計し、
コンサートプレゼンスを思わせる拡がり の中で
全体のマスの響きと細部のソロのバランスを
絶妙なタイミングで両立させている点に特徴があり ます。

この「復活」の録音会場は1912 年に建設され、
1966 年のオーケストラ・ホールの改装による音響 効果の悪化で
シカゴ響の録音に使われるようになったメディナ・テンプルですが、
3 階4200 席を擁した 広大な空間は、
シカゴ響の本拠地であった
オーケストストラ・ホールの
ドライで引き締まった響きとは異 なり、2 人の独唱、
混声合唱と巨大な編成のオーケストラによる
マーラー「復活」のような作品に相応し いゆとりのあるサウンドを
無理なく作り出すことができる環境でもありました。
また「復活」では第5 楽章 で「遠くから」と
指示された別働隊のバンダが起用されますが、
この録音ではそうした遠近感の差異も 見事に再現されています。




ウィーン・フィルとの蜜月を告げる第4 番   
 
翌年ウィーン・フィルと録音された交響曲第4 番も、
第2 番に劣らぬ名演といえるでしょう。

1965 年の ザルツブルク音楽祭以来、
ウィーン・フィルは若手指揮者のホープであったアバドと共演を重ね、
1970 年代後半には
アバドが首席指揮者待遇ともいえるほどの存在になっていました。
その蜜月ぶりを伝え るのが1977 年録音の第4 番で、
第2 番におけるシカゴ響の機能性とは異なる
ウィーン・フィルのしな やかで香り高く濃厚なサウンドが
生かされているのが最も大きな特徴と言えるでしょう。

アバドの第1 次マーラー全集では、
この後第3 番と第9 番・第10 番で
ウィーン・フィルが起用されて いますが、
まさに作品によって最適なオーケストラを振り分けた
プロジェクトであったことが実感できま す。
録音はウィーンの最も有名な
コンサートホール、ムジークフェラインザールで行なわれています。

ド イツ・グラモフォンにとっては馴染みの録音会場であり、
最適のマイク・ポジションやバランスの作り方を 熟知した名手
ギュンター・ヘルマンスの練達の業が光っています。

シカゴ録音よりも各パートが大きくク ローズアップされている
(例えば、頻出するソロを見事に弾いているコンマスの
ゲルハルト・ヘッツェル や終楽章で登場するフォン・シュターデの独唱)のも、
室内楽的ともいえるこの交響曲の特性を
よく捉 えた音作りといえるでしょう。  




最高の状態でのSuper Audio CD ハイブリッド化が実現     

アバドは1994 年のベルリン・フィルとの
交響曲第8 番のライヴ録音をもってマーラー交響曲全曲の 録音を一端終えていますが、
その5 年前のベルリン・フィル音楽監督に就任した
1989 年から再録音を 開始しており、
2005 年にデジタル録音による
第2 次全集を完成させています。
さらに2003 年からはル ツェルン音楽祭でマーラー・チクルスを開始し、
2014 年までに第8 番を除く8 曲と第10 番アダージョ が映像によって
収録され未完の第3 次全集となりました
(第2 番はDGからCD化されています)。

 年代を経ることに円熟味を深め、
テンポも早まり、余分なものが削ぎ落とされていった
アバドのマー ラー演奏ですが、
その出発点となった1970 年代の
第2 番・第4 番2 曲を新たなリマスターで今振り返 ることは大きな意味を持つといえましょう。

交響曲第2 番・第4 番ともに
アナログ最後期・完熟期らしい 見事なサウンドであり、
CD時代に入ってからもごく初期にCD化され、
さらにOIBPでもリマスターされ ています。
また第4 番に関しては2012 年にシングルレイヤーの
Super Audio CD でも復刻されていま す。

今回のSuper Audio CD ハイブリッド化に当たっては、
新たにアナログマスターよりトランスファーした 音源を使用しています。

これまでのエソテリック企画同様、使用するマスターの選定から、
最終的なDS Dマスタリングの行程に至るまで、
妥協を排した作業が行われています。

特にDSDマスタリングにあ たっては、
DAコンバーターとルビジウムクロックジェネレーターに、
入念に調整されたESOTERIC ブラ ンドの最高級機材を投入、
またMEXELケーブルを惜しげもなく使用することで、
オリジナル・マスター の持つ情報を余すところなく
ディスク化することができました。



『アバドの集中力の強さを端的に示し、
アバドのマーラー・シリーズの中でも特に傑出した演奏』(交 響曲第2 番)

『音色は透明、表情は若々しくフレッシュで、
歌の美しさとさわやかさも群を抜き、
終 始はつらつとしたリズムが音楽を支えている』(交響曲第4 番)
  
 

「(アバドが1970 年代に録音したマーラーの)ディスクできける演奏で
特徴的なのは、常に作品に対 して真摯な姿勢をくずさないアバドならではの、マーラーの音楽のうちの身振りの大きさをおさえた、し かし細心の注意のもとに音楽の本質に迫った表現である。アバドによるマーラー演奏でもっとも際立っ ているのは、弱音で奏される部分の緊張感にとんだ響きである。(・・・)そのようなアバドのマーラーで あるから、演奏としての派手さにはいくぶんかけるところがあるものの、静かに音楽に耳をすます聴き手 にとっては、語ることの多いものになる。」

(黒田恭一、『レコード芸術別冊・演奏家別クラシック・レコー ド・ブック指揮者編』、1987 年)



◎交響曲第2 番

「アバドの集中力の強さを端的に示した演奏といえるだろう。とりわけ弱音の緊迫感が凄い。弱音を ただの弱い音にしていないところがアバドだというべきだろう。ここでアバドがシカゴ交響楽団を指揮し てもたらす弱音は、聴き手を窒息させかねないほどのものである。そのような極度にはりつめた弱音が 一方にあるからこそ、もう一方での大きな盛り上がりもこけおどしに終わらず、真実味を帯びる。アバド のマーラー・シリーズの中でも特に傑出した演奏といっていいように思う。」

(黒田恭一、『レコード芸術 別冊・クラシック・レコード・ブックVOL.2 交響曲編』、1985 年)



◎交響曲第4 番

「室内楽的なすっきりした響きで奏でられる第1 楽章に、早くもアバドの持ち味がはっきり出ている。 音色は透明、表情は若々しくフレッシュで、歌の美しさとさわやかさも群を抜き、終始はつらつとしたリ ズムが音楽を支えている。音響的な陶酔に溺れぬ知的な目配りもいかにもこの指揮者らしい、続くスケ ルツォではきわめて緻密な音色の処理とテンポのデリケートな動きにアバドの非凡な才能を感じるが、 中にはあっさりしすぎという意見もあるかもしれない。第3、第4 楽章の美しさは無類。」

(大木正純、『レ コード芸術別冊・クラシック・レコード・ブックVOL.2 交響曲編』、1985 年)



「ウィーン・フィルはふくよかで、たっぷりの情感で、マーラーの束の間の夢を実現させる。アバドの 指揮も巧みなのだけれど、むしろウィーン・フィルがかまわず演奏してしまう甘い幸福を、止めないでい るというように思える。アイロニーには眼がないアバドなのに、ここではそれを捨てさることによる成功が 聴ける。」

(堀内修、『クラシック名盤大全交響曲編』、1998 年)



「アバドの指揮で聴くべきはアダージョ楽章だ。彼はウィーンで勉強したせいか、ウィーン気質を肌 身で感じているかのような演奏をしている。この楽章はウィーン世紀末のユーゲントシュティール風の 唐草模様と爛熟した頽廃にどっぷりと身をひたし、紅色の油膜のようなねっとりとした流動に感溺して、 夢とうつつのあいだを行き来しながら恍惚としてただよい、その先に待つ崩落と奈落の淵に吸い寄せ られていく。そしてクライマックスに達したかのようにその淵から落下する。麻薬吸引にとりつかれた「堕 ちる感覚」さながら。おそらくこのような頽廃美に身を委ねながら、その淵から不死鳥のように蘇ってこら れるのはVPO をおいてほかにないだろう。

(喜多尾道冬、『最新版クラシック名盤大全 交響曲・管弦 楽曲編』、2015 年) 




■収録曲

DISC 1 [ESSG-900141]

グスタフ・マーラー

交響曲 第4 番 ト長調

1. 第1 楽章 中庸の速さで、速すぎずに

2. 第2 楽章 落ち着いたテンポで、慌ただしくなく

3. 第3 楽章 静かに、少しゆるやかに

4. 第4 楽章 非常に心地よく (ソプラノ・ソロ)

歌詞:天上の生活「我らは天上の喜びを味わい」(「子供の不思議な角笛」より)

交響曲 第2 番 ハ短調 「復活」 (その1)

5.第1 楽章 アレグロ・マエストーソ。まじめで荘厳な表現で一貫して

6. 非常にゆったりとくつろいで(第117 小節)

7. 非常にゆっくりと開始する(第254 小節)



DISC 2 [ESSG-900142]

交響曲 第2 番 ハ短調 「復活」 (その2)

1.第2 楽章 アンダンテ・モデラート。きわめてくつろいで、急がずに

2.第3 楽章 スケルツォ。静かに流れるような動きで

3.第4 楽章 「原光」 きわめて荘重に、しかし素朴に (コントラルト・ソロ)

歌詞:「赤い小さな薔薇よ」(「子供の不思議な角笛」より)

4.第5 楽章 スケルツォのテンポで、荒々しく突進するように

5. ゆっくりと(第43 小節)

6. 最初は非常に控えめに(第97 小節)

7. 再び非常に幅広く(第143 小節)

8. マエストーソ。非常に控えめに(第191 小節)

9. 再び控えめに(第325 小節)

10. ゆっくりと。常にさらに控えめに(第418 小節)

11. 非常にゆっくりと、かつ伸ばして(第447 小節)

12. ゆっくりと、神秘的に(第472 小節)(合唱とソプラノ)

歌詞:「よみがえるだろう、そう、よみがえるだろう」

13. 少し動きをもって(第560 小節)(コントラルト、ソプラノ)

歌詞:「おお、信じるがいい、わが心よ、信じるがいい」

14. 再び控えめに(第617 小節)(合唱とコントラルト、ソプラノとコントラルト、合唱)

歌詞:「生まれ出たものは、必ず滅びる」

(クロップシュトック「復活」による)


[演奏]

[交響曲 第4 番]

フレデリカ・フォン・シュターデ(メッゾ・ソプラノ)

ゲルハルト・ヘッツェル(ヴァイオリン独奏)

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団



[交響曲 第2 番]

キャロル・ネブレット(ソプラノ)

マリリン・ホーン(コントラルト)

シカゴ・シンフォニー・コーラス

シカゴ交響楽団

指揮:クラウディオ・アバド


[録音]1976 年2 月、シカゴ、メディナ・テンプル(交響曲第2 番)、

1977 年5 月、ウィーン、ムジークフェラインザール(交響曲第4 番)



[初出][交響曲第2 番]2707094(1977 年)、[交響曲第4 番]2530966(1978 年)

[日本盤初出][交響曲第2 番]MG8243〜4(1977 年9 月)、

[交響曲第4 番]MG1146(1978 年9 月)

オリジナル・レコーディング

[プロデューサー]ライナー・ブロック

[バランス・エンジニア]ハインツ・ヴィルトハーゲン(交響曲第2 番)、

ギュンター・ヘルマンス(交響曲第4 番)

[レコーディング・エンジニア]フォルカー・マルティン(交響曲第4 番)

[Super Audio CD プロデューサー]大間知基彰(エソテリック株式会社)

[Super Audio CD リマスタリング・エンジニア]杉本一家
(ビクタークリエイティブメディア株式会社、マスタリングセンター)

[Super Audio CD オーサリング]藤田厚夫(有限会社エフ)

[解説]諸石幸生 黒田恭一

[企画・販売]エソテリック株式会社

[企画・協力]東京電化株式会社